崖柏品鉴网

茶壶之旅:探寻世界各地的茶文化

发表时间: 2023-09-13 15:33

茶壶之旅:探寻世界各地的茶文化

「こんにちは、私はお茶のポットです。

“大家好!我是一个茶壶。

私は陶器でできていますのよ。

我可是瓷制的哟。

注ぎ口は細くて長くて素敵でしょう。

我的壶嘴又细又长多漂亮呀。

いつでしたか、どなたかがバレリーなの腕のようと、ほめてくださいましたわ。

曾经有人夸奖我的壶嘴像芭蕾舞演员的手臂。

取っ手の幅の広さはどう思いまして?

你看我的壶把儿是不是也很宽啊?

なんと申しましても、陶器は私のように上品で、しかもおしゃれでなくては。

不管怎么说,瓷器就应该像我这样高贵,时髦。

なにしろわたしは、一流の職人さんが、それはそれは丁寧に作ってくださいましたのよ。」

反正,我是一流的工匠非常非常细心地制作出来的。”

お屋敷の台所で、お茶のポットはいるも自慢していました。

在富人家的厨房里,茶壶总是这样骄傲。

でも、聞かされるクリーム入れや砂糖入れは、ほめるよりも、もっと別のことをよくいいました。

但是每次奶油罐和糖罐听到茶壶自吹自擂,不但不赞美它,反而总是提起另一件事。

「とことで、ポットさんの蓋は⁧どうされました?‭」

“那么,茶壶,您的盖子是怎么搞的?”

そのことを言われると、ポットは黙ってしまいます。

提到盖子,茶壶就没话说了。

蓋は前に一度壊されて、つぎはぎにされ、継ぎ目はあるのです。

它的壶盖曾经被摔碎过,现在上面还有接缝。

そうね。誰でも悪いところに目がいくものよね。

是啊。谁都会注意到别人的缺点。

でもなんと言われても、わたしはテーブルの上の女王よ。

不过不管怎么说,我才是茶桌上的女王。

だって、のどが渇いている人間を助けてあげることができるんですもの。

因为我可以帮助口渴的人们解渴。

この注ぎ口が女王の証拠よ。

我的壶嘴能证明我就是女王。

クリーム入れも砂糖入れも、いってみれば家来じゃないの。

说到底奶油罐和糖罐都只不过是仆人罢了。

そんなある日のこと。

可是,有一天。

食事のときにだれかがポットを持ち上げた拍​子に、床に落としてしまったのです。

吃饭的时候,有人拿起茶壶,一不小心把茶壶掉到了地上。

ポットは床で音を立てて、粉々になってしまいました。

茶壶发出很大声响,被摔碎了。

それから私は、貧しい家の人にもらわれて行きましたの。

后来我就被送给了穷人家。

そこで‪土を入れられ、球根を埋められましたわ。

我的身体里面被装进了土。土里埋了一个球茎。

私は嬉しく思いました。

我太高兴了。

なぜって球根は、私の体の中でグングンと元気に育ち、目を出したのです。

因为球茎在我的身体里茁壮成长,后来球茎发了芽。

そして、朝を、迎えるたびに大きくなり、ある朝見事な花が咲きましたの。

每天早晨它都会长得更高,终于有一天早上,球茎开出美丽的花。

花は娘のようなもの。

花就像我的女儿一样。

まあ、お礼は申してくれませんでしたが、私は幸福でしたわ。

虽然没有人感谢我,但我是幸福的。

家のひとたちは花を見て、その美しさをほめてくれました。

家里人看到花,都夸它开的美丽。

だれかを生かすために自分の命を使うって、うれしいことです。

用自己的生命培育别人,这是多么让人高兴的事。

そのとき初めてそう思いました。

那时我第一次有了这种感觉。

でも、家の人たちは「こんなきれいな花は、もっと素敵な植木鉢に植ええたほうがいいね」と、花を連れていき、私を庭の隅に放り投げましたの。

但是有一天家里的人说:“这么漂亮的花,该换个好一些的花盆。”于是他们把花移走了,把我扔到了院子的角落。

でも、私をかわいそうなどと思わないでくださいね。

但是请不要可怜我。

ええ、私は思い出がたくさんあるのですから。

因为,我有很多回忆。

これだけは、だれにも壊したり、放り投げたりできませんのよ。

只有回忆才是谁都无法破坏,无法夺走的。

おしまい

‎完结撒花